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玄奘展に行ってきた


九州から夜行バスに乗って降りたところは京都駅八条口。

まずは駅の中の九州には無い小川珈琲でモーニングをとり、
京都タワーの地下3階にあるタワー大浴場へ。

レトロな雰囲気の入り口を通り、改装したんだろうな~というきれいな更衣室で服を脱ぎ、
お風呂に入ったわけですが、周りを見渡すとみんな大学生くらいの女の子ばかり。

ツアーか夜行バスで来た御一行様なのでしょう。ヘアアイロン所持率が多くて驚きました。
少しでも物を減らしたい自分としては、若さというか女子力というものを見せつけられた気がいたしました。


さっぱりしたあとは、京都の街の中を歩きます。

東本願寺の横を通り西本願寺の敷地の広さに圧倒されながら駅から15分くらいで

龍谷(りゅうこく)ミュージアムへ。
『三蔵法師 玄弉 迷い続けた人生の旅路』展が開催中です。(2015年9月27日まで)


西遊記の三蔵法師のモデルになった実在の人物の玄弉(げんじょう)の歩みをたどる展覧会なのですが、
なんだかそれだけ聞くと堅苦しいイメージなので
わたしが興味を持ったきっかけの玄弉さんのプロフィールを見てみましょう。



出身地は中国 河南省陳留 洛陽近くの町

容姿性格など
身長七尺、色白、容姿は清らかで美麗。明瞭で上品な言葉遣い。声がいい。
交遊を好まず、一人で部屋にいることを好んだ。

玄弉さんの人柄を一言で表すと、「生真面目でストイック」。

(会場で販売しているリーフレットより)



もうこの容姿性格の数行だけで玄弉さんに興味津々です。
七尺というのは実際の背丈と言うよりは「偉大な人」=「大きい」というイメージから来るもののようです。
父親は八尺なのでちょっと小柄な様子。偉大な人も父親には敵わないということでしょうか。


玄弉さん……と軽々しく呼んでいますが、この展覧会は親しみを持ってもらおう、
一人の人としての玄弉を知ろうということで「玄弉さん」という表記の仕方をしていて、
そのお陰でわたしのようなミーハーな者も気軽に入ろうと思えたのでした。


西遊記のイメージは「冒険(アドベンチャー)」に尽きるのですが、
玄弉さんも二十六歳から四十四歳までの長いあいだ旅をし、
天竺から長安に経典を持ち帰ります。

帰国してからは持ち帰った経典の訳を亡くなる年の
六十三歳まで続けるという偉業を成し遂げています。

あれ?
日本にはいつ来たのかなと思ってリーフレットを詳しく読んでみても記述はありません。
玄弉さんのことを日本人もしくは、日本に渡ってお経を広めた方だと思っていたわたしは
とても驚いてしまいました。


翻訳は一人で行なったのかと思いきや、チームを組んでの作業で、
綴文(中国語として意味の通る文章にする)
証文・証義(言語の意味が間違っていないか確認)
など役割の分担があり、訳場(やくじょう)の総監督の訳主を玄弉さんが担当していたそうです。


訳場の話は小説などで読んでみたいくらい面白そうだなぁと興味がわきました。


思っていた以上に自分の知らないことばかりの展覧会だったので、
少しでも興味のある方は行くと新しい発見があるかもしれません。